この小さな窓の向こうに

BBC「シャーロック」にはまる日々。今は亡きナンシー関を思いながら感想を綴ります。

Sherlock Rev. 8

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Sherlock の物語構造

 

このドラマシリーズ全体を通して、シャーロックは変わっていきますが、では、どんな風に変わったのでしょう。シャーロックはジョンとの関係を通してサイコパスから普通の人間に変わったのでしょうか。私はそうではなく、シャーロックは、ジョンを通じて本来の自分を取り戻していったのではないかと思うのです。 

 

 

変わっていくシャーロックを描いたこの物語の中で変わらなかったもの、それはシャーロックの身体性でした。

 

S1E3では道路のフェンスを超えるのに、シャーロックとジョンとではあきらかな差がありました。S2E3でも二人が手錠をはめられたまま逃げるシーンで、シャーロックが軽々と越える柵をジョンは越えられません。

 

嗅覚は、ほとんど全ての事件現場で発揮されます。シャーロックには、推理する能力だけではなく、人間のもつ五感が備わっているのですね。

シャーロックはほとんど食事をしないので、味覚についてはかなり保証できませんが。。

 

ヴァイオリンの名手であることからも、シャーロックの能力が推理だけではないことがわかります。美しいものを美しいと感じる感受性の持ち主でもあります。

 

つまり、シャーロックは天才だからといって頭脳だけが発達したコンピューターのような存在ではなく、逆に現代人が失った能力を子どものように持っているのかもしれません。S2E1で特徴的に描かれた「シャーロック= こども」という造形は、社会性やコミュニケーション能力の欠如と同時に、五感や身体性、感受性の保持という点でも表されていたのでした。 

その意味では、S4E2のハドソンさんの「シャーロックは感情的」という指摘はまさにまとを得ていたようです。

 

つまり、シャーロックはジョンとの関係を通して自己回復を遂げていったのではないでしょうか。

それは、シャーロックがジョンに受容され理解されたと感じた時から始まりました。この時からジョンとの間に「関係」を築くことが可能になったのです。

この関係の構築があって初めて、そこに信頼や尊敬、あるいは友情や愛情、さまざまな感情の共有が可能になります。

関係と感情こそ、それまで、シャーロックが持つことができないでいたものでした。

 

シャーロックは、ドラマシリーズの最後でユーラスと出会います。生涯、孤独に生きてきたユーラスは、一度も誰かと関係を持ち、感情を分かち合ったことがありません。

その誰も理解できなかったユーラスをシャーロックだけが理解できました。孤独と絶望の淵から戻ってきたシャーロックだからこそ、ユーラスの孤独を理解できたのでした。

 

シャーロックの孤独と呼応するかのように、物語の中で通奏低音のように描かれてきたそれぞれの孤独。

 

孤独の意味合いこそ違うものの、物語に登場する人たちはみな孤独に生きています。

ジョン、メアリー、ハドソンさん、モリー

マイクロフト。レストレードも、忘れてはいけませんね。

彼らは、12歳設定のシャーロックが成長するのを見守る形で、それぞれがシャーロックと関わり、名前のない繋がりを作っていきます。

その密度や関係性はそれぞれ違いますが、配慮、信頼、広い意味での愛情という点では共通しています。それを一言で言ってしまえば、親密さ、と言ってよいかもしれません。

孤独の上にはじめて成り立つ親密さ、これはこのドラマシリーズの隠されたテーマのように感じます。

 

暗いトーンのドラマシリーズの中で、登場人物が作りだす名前のない親密さ。それは私たちが暮らす現代社会を照らす小さな光のように感じられます。

 

最後に、今まで見てきたことを少しだけまとめてみましょう。

 

このドラマシリーズは、一方で、横軸には、推理と謎ときという物語を進行させるしかけを置き、同時に、シャーロックとジョンの関係の変化を描いています。シャーロックとジョンの二人の関係は、途中でシャーロック、ジョン、メアリーの三人関係に変わり、終盤でシャーロックとジョンの二人の関係に戻ります。この時の二人の関係は、最初の二人の関係から変化し、互いに対等で深い信頼と尊敬に満ちたものに変わっています。

 

他方、縦軸の中心には、マイクロフトとシャーロックの関係が権力関係として描かれています。首相につぐ権力をもつマイクロフト、そして、権力と無縁なシャーロックの対比です。

 

また、縦軸には、マイクロフトとシャーロックの権力関係だけではなく、多くの登場人物が縦の関係を構築します。

 

S1E2に登場するシャーロックの大学時代の友人セバスチャンはシティのシャド・サンダーソン投資銀行に勤務、高級取りですが、人間的にはとことん嫌なヤツに描かれています。

S3E3のメディア王Charles Augustus Magnussen、CAMも、各所の描写は理屈だけでなく、感覚的にも品性卑しく描かれています。

S4E2のカルヴァートン・スミスも、経営者、慈善家という表の顔とは裏腹に、実は殺人自体を愛してやまない殺人狂です。

 

他方、S1E1のジェファーソン・ホープは、離婚後、妻が連れていった子どもたちのため、金目当てに、殺人を犯す死期の近い犯人ですから、どこか哀れです。

 

権力や富をもつ人たちと対照的に、シャーロックが心をゆるすのは、権力とは無縁の人たちです。

最も典型的には、ホームレスのネットワーク。S2E3のフォールのトリックは、マイクロフトとモリーの他には、25人のホームレスだけが知っていました。

S3E3からシャーロックの助手になるジャンキーのウィギンズは、名前や顔のないホームレスの代わりに登場したと言ってもいいかもしれません。

風貌といい、なかなか親近感は持ちにくいキャラクターですが、シャーロックは彼の能力を買い、そばにおくようになります。S3E3では、シャーロックの両親の家にまで連れて行っています。彼の能力は、余人に代えられないのでしょう。

そして、S4E1でメアリーを失いジョンも去り、最悪の状態のシャーロックのそばに残ったのは、ウィギンズでした。S4E2の途中まで、彼はシャーロックの助手を務めています。

 

S1E2の可哀想なスーリンは孤児。健気に美しく描かれていました。

シャーロックが唯一女性として能力を認めたアイリーンは裏社会の女王。自分の能力だけで生き延びてきました。

さらに、シャーロックが心から信頼し愛するのは本当の名前や国籍さえわからないメアリーです。

彼ら彼女らによって、このドラマシリーズの縦軸の半分は構成されているのですね。

 

そこからは、物語の背後にあるイギリス社会が透けて見えてくるようです。

マイクロフトのホワイトホールのオフィスにも、ディオゲネスクラブにも、エリザベス女王肖像画が掲げられていました。イギリス王室を頂点とする階級社会のもとに、シャーロックの世界は存在していることを暗示しています。

 

モファットとゲィティスは、この社会構造を映像として、時に台詞として喚起しながら、物語のバックグラウンドとして見せています。

そうした構造を、批判することなく淡々と、しかし登場人物の配置によってはっきりと描いているところに彼らの力量を感じます。

 

同時にシャーロックが常に権力と無縁な人々に信頼を寄せていたこと、さらに言えば、そのようなシャーロックを描くモファットとゲィティス、そしてこのドラマシリーズ自体が、その視点を共有していると感じることができるように思います。

 

個人と社会を描くという困難な課題を、最高のエンターテイメントとして見せてくれた、モファット、ゲィティス、ベネディクト、マーティン、みんな、ありがとう!!

                      

このドラマシリーズのブログを書くのに、随分時間がかかってしまいました。

おつきあいくださったみなさま、本当にありがとうございました。読んでくださる方がいなければ、ここまで書き続けることは絶対にできなかったと思います。

 

さあ、これからどうしましょう?

実は、いまオックスフォード方面の沼にはまりかけているので、また新しいブログを書くことがあるかもしれません。

しばらく休業となりますが、改装オープンの日も遠くないような気がしています。

その時まで、どうぞお元気で。

また、お目にかかれますように!

 

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!!