Sherlock Rev. 2
*シャーロックとジョン ②
前回、ドラマシリーズ全体を通したシャーロックとジョンの関係の変化を概観しましたが、
もう少し詳しく二人の関係を表すシーンを拾ってみましょう。
シーズン1
S1E1
傍若無人なシャーロックに振り回されるジョン。ジョンはまだ相棒未満。シャーロックは、最後にジョンに命を救われます。
S1E2では、ジョンは徐々に推理の過程で必要な相棒になっていき、いくつかのシーンで、ジョンの有能さが描かれます。
S1E3
シーズン1の最後なので、シャーロックの変化がストーリーとして表現されています。
221B冒頭のシーン。駄々っ子のような態度は、子どもが家族や母親に対してわがままをいうのと同じですね。まだ子ども。ハドソンさんに対する態度とジョンに対する態度が違うので、ジョンがハドソンさんより遠慮のない存在になっていることがわかります。
窓辺でジョンの後ろ姿を目で追うシャーロック。ママに置いていかれた子どものよう。
傲慢な態度は変わりませんが、ジョンに側にいて欲しいという気持ちが芽生えているようです。
レストレードから事件の依頼があり、「くるかい?」「君が望むなら」、「僕のブロガーがいないと困るから」、というシャーロックとジョンのやりとり。二人の距離が互いに縮まっています。
カール・パワーズ事件
ラボのシーン。シャーロックにとっては、謎ときが最大の関心の中心ですが、ジョンは人質の心配をします。
事件解決が大事か、人命救助が大事か。探偵と医師。二人は違う価値観の中にいます。
イアン・モンフォード事件
並んで歩くシャーロックとジョン。 後に歩いているジョンに、シャーロックは歩きながら後ろ向きでカードを渡します。ジョンに対する全幅の信頼が感じられます。
Common, Johnもここで。
コニー・プリンス事件
ゲームを楽しんでいるシャーロックにジョンは怒りを感じます。
人の命をなんとも思っていないのかというジョンに、心配すれば助けられるのかとシャーロック。
ヒーローなど存在しない、たとえいたとしても、僕はヒーローにはならない、というシャーロック。
フェルメール贋作事件
テームズ河畔で、シャーロックとレストレードを仕切るジョン。シャーロックとジョンのバランスが変わってきています。
圧巻のラストシーン
最初のシャーロックの表情。えっ、もしかしてジョンがモリアーティ?!
シャーロックのジョンに対する感情が表されています。ただ一人、信頼し、自分を理解してくれている友だと思っていたのに。。
ジョンは、モリアーティを羽交い締めしてシャーロッに逃げろ、と。自分は犠牲になっても、シャーロックを逃がそうとします。
そのあと、モリアーティが帰ってきて、今度は二人が自分たちは犠牲になっても、多くの人を救おうとします。
ヒーローとは、自分の命より他人の、あるいは多数の命を救おうとする人、とするなら、ここでの二人はヒーローのようです。
こうして見てくるとS1では、ひたすら、シャーロックのジョンに対する思いが強くなっていますね。
シーズン2
S2E1
冒頭では、シャーロック12歳設定の描写が何度か。
君のブログは人気がないと言われて、プイと出て行ったり、アイリーンから来たメールが嬉しそうだったり。冷蔵庫からクッキーをつまみ食いするし。シャーロックはまだ子ども、という表現が強調されています。
逆にいえば、ことさら説明はされないものの、普通の大人であるジョンとシャーロックの関係は、推理することを除けば、兄と弟のような関係にあるということがわかります。
S2E1では、シャーロックの関心がアイリーンに向いているので、ジョンの描写が印象に残ります。
クリスマスのシーン、ジョンはアイリーンからのメールが「57通目」と、数えていました。
アーン、でわかるアイリーンのメール。ジョンは気になっているのですね。ここは、ちょっとジェラスが入っているかな?
さらに印象的なのは、バタシー発電所で見せたジョンのシャーロックへの思いやり。ひそやかで繊細。かつての小津作品にもつながるような、言葉のやりとりの背後にある空気感が感じられます。このシーンは、とりわけ日本のファンには共感が高いのかも、と思います。
ブロマンスが、最も美しく表現されているのはこのシーンではないでしょうか?
そしてジョンのその気遣いは、シャーロックの気持ちをもてあそぶアイリーンへの怒りに変わっていきます。
S2E2
教会前でジョンの後をうろうろついていくシャーロック。前夜の不用意な言葉でジョンを怒らせてしまったシャーロックが、ジョンに許してもらおうとあれこれ言い訳する姿がいじらしいですね。このあたりは、シャーロックのジョンへの情緒的依存がたっぷり味わえて、ファンには美味しい場面です。
S2E3は、S1とS2の総まとめ。もともと、12回シリーズで考えられていたからここで終わってもいいという終わり方でした。もっとも、あの結末でS3を待つのは辛かったと思いますが。
S2E1では、どちらかというとジョンのシャーロックへの友情に力点がありましたが、S2E2では、シャーロックのジョンへの依存の方が印象的ですね。
S2E3ではそれを受けて二人の関係が、正面から描かれます。
冒頭、いくつかのシーン、「ライヘンバッハの滝」の盗難事件、銀行頭取誘拐事件、リコレッティ逮捕への協力、これらの会見シーンでジョンは、常にシャーロックの助言役、指南役です。
検察側の証人として法廷に召喚されるシャーロック。ここのジョンは父か兄のようです。外の道路にはたくさんのカメラが待ち受けていることを知っているジョンは、シャーロックの様子を見ながら、ドアを開けるタイミングを見計らいます。法廷に向かう車の中では、シャーロックに、正しい証言の仕方について、子どもに言って聞かせるようにアドバイスします。
あきらかにジョンはシャーロックの助言者の立場にいます。寄宿舎では、誘拐事件なのに楽しそうなシャーロックにジョンからダメだし。
一方、バーツのラボで顕微鏡を覗くシャーロックは、分析に協力してくれるモリーに、ありがとうジョン、と返事します。推理の過程でジョンがなくてはならない相棒になっていることがわかります。
だんだん、シャーロックのジョンへの依存が強まっていますね。
ベイカー街221 B
S2E3の中で二人の関係を最も象徴的に表すシーン。
部屋の中で二人は見つめ合います。
ジョンが、嫌なんだ、世間が君のことをペテン師だと思うことが、といえば、
シャーロックは、君までモリアーティの印象操作にひっかかるな!といらだちます。
そのあと、ジョンは、僕は本当の君を知っている、こんな嫌な野郎に化ける人間は、いない、と言うのです。
ここは相思相愛の恋人のラブシーンのよう。
シャーロックは、君がいなければダメなんだ、と言っているようなものだし、ジョンは、僕だけはどんなことがあっでも君の味方だ、と言っています。
二人の感情的な表現は、たぶんここがピーク。セクシュアルな意味はないけれど、二人が互いにお互いを特別な存在と認めあっていることが、よくわかるシーンです。
手をつないで逃げる二人。
そして、シャーロックはジョンや大切な人たちを守るため、バーツの屋上へ。
墓地
シャーロックの墓に語りかけるジョンの慟哭。
君は最高の男だった
僕は孤独だった
君に感謝している I owe you
ジョンの感情が直接吐露されることはほとんどないので、この独白は胸をうちます。他人に理解されることをはなから欲していないシャーロックだけでなく、ジョンもまた孤独だったのです。「孤独」は、このドラマシリーズを貫く重要なサブ・テーマ。孤独に関するアイコンが、あちこちにはめ込まれています。このことについては、後であらためて考えてみることにしましょう。
ジョンたちを守るため、死を装ったシャーロック。死そのものは擬装ではあるものの、シャーロックは、ここでジョンの命を救うためジョンを失う選択をします。
シャーロックは、ジョンを救うため、再びジョンのいない世界に自ら戻っていったのです。
シャーロックの死を疑わないジョンも、また、孤独な生活に戻りました。シャーロックと共に行動することで、いやおうなく危険と冒険に満ちた世界に投げ込まれたジョン。ジョンは、その中で、生きる意味と意欲を取り戻したのでした。
孤独な世界にいた二人、だからこそ、その二人が出会ったことでそこに特別な関係が生まれたことが、このジョンの独白によって私たちにもわかるのです。
このように、S1とS2では、シャーロックとジョンとの関係は徐々に強まり、友情を深めていきますが、ジョンがシャーロックの天才ぶりに感嘆しているのは、S1E1だけです。
私たちにはどこかで原作のイメージ、つまり天才シャーロックと助手であり語り手であるジョン、というイメージを持っているような気がしますが、このドラマシリーズでは、早くもS1E2でそれは違うと宣言しています。このドラマシリーズでの二人の関係は、天才と助手ではなく、対等な友人なのですね。
S1とS2は、出会った二人が最初の段階で友情を強めていく過程、いわば、矛盾のないハネムーン期といえるでしょう。だからこそ、S1、S2の人気が高いのですね。私たちがこのドラマシリーズに対して、予想し、見たいと思っている世界が、細やかに、時に叙情的に時にコミカルに、イギリス的なユーモアとウイットを交えて描かれていますから。
ドラマシリーズ全体を見渡した時、S3、S4の配置は見事な構成というほかありませんが、私も、このままこの二人の世界を見ていられたらもっとシンプルに楽しめたかも。。と思ってしまいます。