この小さな窓の向こうに

BBC「シャーロック」にはまる日々。今は亡きナンシー関を思いながら感想を綴ります。

Sherlock Rev. 1

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今日から、いよいよレヴュー開始です!

 

 *はじめに

簡単にストーリーをフォローしてすぐにレヴューに入るつもりが、なんとまあ、これまでに一年半以上もかかってしまいました。S1E1とS1E2だけ改訂版を書いたら、最初には気づかなかったこともたくさんあって、この調子で改訂版をこの後も書き出すと、永遠にレビューに入れそうもないので、とりあえず、今、書けることを書き始めようと思います。

 

 

通常、レヴューを書く時はいくつか分析軸を設けて、それに沿ってストーリーを解読していくのですが、このドラマシリーズは、その方法だけではうまく分析できないような気がしています。

たとえば、「総特集  シャーロック・ホームズ コナンドイルから『 SHEROCK』へ」『 ユリイカ 』2014, no.647 では、かなり多くの視点からこのドラマシリーズの分析を試みていて、十分読み応えのある特集になっています。

でも、この『ユリイカ』でさえ、ドラマシリーズの魅力の謎を解き明かしきっていない、と感じてしまうのです。どこか、足りない。。

ユリイカが出た時は、「S3E3 最後の誓い」までしか放映されていないので、それも大きいでしょう。特別篇「忌まわしき花嫁」、そしてシーズン4まであって、このドラマシリーズは完結すると思います。シーズン4は、一般的には評判が悪いのですが、私は結構好きなので。

 

それと、分析的な手法だけでなく、物語の中に分け入っていかないと、たとえば、メディア論とかジェンダー論とか、原作との対比とか、だけでは物語の核心にまで手が届かない、そんな気がしてなりません。あ、特にシャーロキアンの先輩方は、原作との対比こそが大事だと思うので、それはそれで大切なことなのだと思います。モファットもゲィティスも、シャーロキアンの親玉みたいな存在ですしね。

 

けれど、私はこのドラマシリーズをもっともよく分析できるのは、物語に魅せられたファン自身ではないかと思うのです。

私は、そんな世界中の大勢のファンの一人として、なぜこの作品が好きなのか、なぜブログを書くほどに、はまってしまったのかを考えてみようと思います。それが、このドラマシリーズの魅力を解き明かす糸口になることを願って。

 

*シャーロックとジョン

このドラマシリーズには、つくづく沢山の魅力があります。ベネディクトやマーティンをはじめとする俳優の魅力、ベネディクトの瞳の色に魅入られた人、マーティンの絶妙な演技の虜になった人も多いはず。あ、私もそうなのですけどね。。そして、もちろん脚本の完成度の高さ、映像や音楽の美しさも。

 

そんな中で、私も含めて多くの人が惹かれたのは、シャーロックとジョンの関係でしょう。

 

ストーリーのフォローでも書いたので、繰り返しになりますが、モファットもゲィティスも、彼らが描こうとしたのは、謎解きではなく、シャーロックであり彼の変化だと言っています。

 

シャーロックの変化は、主にシャーロックとジョンの関係の変化として表現されます。そして、その変化の中心は「人としての感情と関係」にあるのではないか、と思います。これは、S1E1からspを含めS4E3の最後まで貫かれています。でも、しばらく、このメタテーマは置いておくことにしましょう。

 

シャーロックとジョンの関係についていえば、それは、男同士の親密な関係、いわゆるブロマンス= bromanceを通して表現されている、といってもいいかもしれません。

ブロマンス、brotherとromanceの合成語であるこの言葉は、一見ゲイともみまごうほどの親密さと、しかし、セクシャルな関係とは一線を画す、男性同士の親密な関係を指します。

 

ブロマンスの核にあるものは、互いの信頼と尊敬でしょう。

二人の間の信頼と尊敬が、どのように形成され、時に壊れ、また形成されるのか。ドラマシリーズでは、このテーマがアナザーストーリーとして一貫として描かれています。

 

このテーマはセクシャルに表現されることは一度もなく、それを窺わせるというような表現もまたありません。が、「窺わせる」という点では、見る人の趣味、好みによって違うかもしれませんね。時に挟まれるジェラシーの表現は、「窺わせる」にはあてはまるかも。。

とはいえ、セクシャルな表現は、厳密に抑制されています。大事なのは、二人のあいだの信頼、尊敬、友情であって、セクシャルな欲求ではないからです。

 

ハドソンさんはじめ、メディアやそれを通じて二人を知っている多くの人は、二人がゲイである、あるいは、かもしれない、と思っています。そのことにシャーロックは関心を示しません。セックスは専門外なので。しかしジョンは、そのことに敏感です。ジョンはゲイではなく、女好きで、いつもガールフレンドを探しているからです。二人はゲイ?という噂や言動にジョンが常に敏感なのはそのためです。

 

このブロマンスへの着目は、ドラマシリーズの構造を考える時に、とても有効です。ブロマンスの行方を追うことによって、90分12回に、さらに特別篇を加えた全体の構造をとらえることができるからです。

 

ストーリーのフォローでも書きましたが、S1とS2は、ほぼ原作の世界の雰囲気を維持しています。

S1でもS2でも、E1から始まった二人の物語が、E3でクライマックスを迎えます。S1E3もS2E3もブロマンスが最高潮を迎えて、物語が終わります。

 

しかし、S3では少し様相が変わります。メアリーの登場です。原作では、あっという間にジョンと結婚し、いつのまにか姿を消すメアリー。でも、このドラマシリーズでは、物語の重要なキーパーソンです。

S3でドラマの性格が変わった、ミステリー作品からスパイアクションに変わった、という意見がありますが、私は、それよりは、ブロマンスの変化から見た方がS3の性格がよく分かると思います。

S1とS2で繰り広げられた男二人のブロマンスから、S3ではメアリーを含めた三人の相思相愛のドラマに変わったのです。

 

そしてS4は、すこぶる評判が悪いですね。S4については、ボンド化、007化が随分言われたようです。これはシャーロック・ホームズのドラマではないと。

この批判に対しても、私は、S3と同じように、ブロマンスから見た変化の方がより大事だと思います。正確に言うと、S4E1では、最初から最後までブロマンスが全く欠如しています。S4E2でも、ブロマンスが存在せず、最後にブロマンスは感動的に復活をとげますが、ホントに最後なので、復活を喜ぶ余韻もほとんどありません。

S4E3では、メインストーリーがドラマティックなため、ブロマンスは、ストーリーとしてしっかり描かれてはいるにもかかわらず、やや後景に退いてしまいます。

このように、S4、特にS4E1、E2では、ブロマンスが逆説的に、つまり、ブロマンスの不在として描かれています。これが、S4の不評の理由ではないでしょうか。

 

S4E3は、ブロマンスはやや目立ちませんが、ドラマシリーズ全体を締めくくる物語なのでとても大事な作品です。最後にまたふれてみたいと思っています。

 

このように、ブロマンスから見ていくと、このドラマシリーズは、綺麗にテーマに沿って描かれています。

そして、その先に、シャーロックを描く、というモファットとゲィティスの言葉の意味が、見えてくるような気がするのです。